モヤモヤしていたこと

 もうここ最近ずっと不安定な情緒でいたけど、腑に落ちた表現をみかけた。

 「仕事は車の運転と一緒。目的地決めて社員みんなで連なって事故らないように運転しているのに、発達障害者はペースを合わさずスピード出したり、頑なに制限速度を守ってノロノロ走ったり、急に一人でコンビニに入ったりする。そりゃ怒るよ」

 

 私は頑張っているパートナーに対して自分の欲望を抑えて、応援してあげなきゃ、理解しないと、という気持ちに駆られてたんだけども、おそらく捉え方が違っていたように思える。

 パートナーでいるということは、上記の例えの通り、同じ車に乗っているのと同じ状況だと思う。その運転者がパートナーで、助手席に何も告げず、猛スピードで自分の走りたい速度で走ったら、同乗者はその速度についていけず、怒るし戸惑うし不安になるだろう。

 私だって理解できてあげられてないのは勿論だけど、パートナーからしたら、理解[してあげなきゃ]という解釈に疑問を抱いているっぽい。言ってる今はわかるのだけど、この状況を理解するのって、ものすごく大変なことじゃないか…?

 だって、同じ席に座ってるんだよ…?その中で、隣が報告も無しに急にアクセル踏み始めることを飲み込めというのか…?

 全然解決になってない。これじゃただの不満の吐口だ。でも腑に落ちる解釈を見つけられたおかげで、少しは前に進めそう。

善良な行いがもたらすもの

 善良な人間、と呼ばれる人は一見とても理想的な人間に見える。でもそれがいざ、恋愛の場となるとどうか。

 両者ともより善良な人間性を目指している物同士であれば、問題なく事は進むと思う。

 もしそれを、利用しようと考える人間が相手だったら?一方的に食いつぶされて終わってしまう。だから早く、我慢が効かなくなる前に、屈辱に耐えられなくなる前に、善良な人間ぶるのをやめるんだ。君はいつかその重みに耐えられなくなって、つぶれて死んでしまう。

 恋愛に善悪は必要ない。相手と自分を天秤にかけ、均衡に満たされていることが大切だ。そのためには、倫理的な範疇で、相応の行動をする必要があるよね。

 

 恋愛って、ただ良い人間であればいい訳じゃないんだな。純愛って何だろうな。ピュアな気持ちって何だろう。人間生まれた頃は悪魔だから、良い人間であり続ける事は難しい。厚い皮を纏っても、地球のマントルみたいにボコボコと本性が噴き上げてしまう時がある。悲しいな〜

 

一難さって

 また一難。

苦しい。人生ジェットコースターにしたってこの緩急のつき方だと血圧上がりすぎて早死にする。

 誕生日、覚えていてほしかった。自分のことで手一杯、興味がないことに対して一切の関心が持てないのも知ってる。でも、誕生日を忘れてる、どうでも良いということはつまり私のことも興味がないということに気づかされてしまうから、余計に自分のことが嫌いになりそうだ。散々振り回されて、会うこともできなくて、でも大好きで仕方ないと言われても、納得いくはずがない。好きなお馬さんのレースの日は覚えてるのにね。ごめんなさい。

 この日に何の特別な気持ちを持ってなかったけど、こんな形で最悪な気分になるとは思わなかった。本当に最悪だ。こんなだったらいっそ競馬馬になりたかった。ただ愛されたい。

 

 いつかこの苦しみから解き放たれる時が来て、きちんと自分の気持ちを消化できることを祈る。未来に幸あれ〜

 

守りたいもの

 映画刀剣乱舞、黎明がとても良かったので前作の継承を観た。

 

物語にもさまざまな感動を呼ぶストーリーがあるけど、映画刀剣乱舞という作品は今の私にのってとても響くものがあった。

本丸、という組織の中で審神者に仕えている立場ながら、各々が守りたいと思ったものを、身を呈しながらも守っていく。

刀という存在そのものが、形が無くなるその日まで人間の生命をを守り続ける役目だからこそ、よりそういった気持ちが強いのかも。

そうだよな…人間の命は儚い。儚いからこそ、その燈を消えないよう側にいてくれる仏様のような存在が形になったのが刀なのかな。

そしてその、弱き命の願いを叶えようとしてくれる神様もまた尊い

 

刀という強く逞しくあり続ける姿を見ることで、私はとても弱く脆い人間なのだと自覚させられる。だけどそんな勇姿を見ることで、今の自分が守りたいものは何か、ということを考えさせてくれる、そんな大好きな映画。

 

ブランコで三半規管がやられる

 タイトルと全然関係がないんだけど、恋人との関係で辛いのは、何もしてあげられない、じゃなくて何もしないこと。

 何もしてあげられないのは、相手がその行動を受け入れてくれる心理状態にある場合だけど、「何もしない」を要求されるというのは、「してあげられない」行為よりずっと辛い。

 

 それはもはや恋人じゃないのでは…?最近の言動から感じられるんだけど、存在が邪魔に感じてしまったらもうそれは恋人でなくてもよく 私は好きでいてくれない人と、ただ安住の地を手に入れるために一緒にいたくない…。

 

 相手が何も求めていないという地獄…毎日悲しい。

 

 さっきラジオでカーネーション花言葉が、「愛の拒絶」だという紹介をしていて余計へこんだ。ナイスベリーバッドタイミング!

最も手軽で文化的な行為

 この二日間、全く元気が出ない。食欲もなく、少しの頭痛と、動くと体がだるくなる。

だから今日も昼過ぎまで布団から出られなくてアンナチュラル見てたし、昨日はソファーに寝そべって推しの子を見てた。

 寝ようと思えば寝られたから、お腹は減ってないしできるだけ横になってようと思ってたら、姉がごはんをチンし始めて、部屋にパスタの良い香りがファーンと漂ってきた。

匂いを嗅いだらなんだかご飯が食べたくなってしまって、1時半くらいにのそのそ起き始めた。

 それから大戸屋で、何か温かいものを食べねばと、チキンかあさん煮を食べた。

もぐもぐしてる内に、この二日間動けなかったのは、心が疲れていたんだなっていうことに気づいた。

心が疲れると、半分くらい死んだような心持ちになる。私は自分の気持ちに気づくのが遅いから、今このご飯を食べている時にハッと気づいた。ご飯を食べていると、生きていると思う。チキンカツにかかってるおろしやなめこに、可愛さを覚える。無くても食べる分には申し分ないけど、そこに乗っかってるだけで全く違う顔を見せてくれるし、少しの気遣いがいじらしい。

今日もわたしはこの鶏肉やおろしやれんこん、にんじん、ほうれん草その他たくさんの食材たちに生かされている。

 という考え事をしてたら、足元がホカホカしてきて、体もなんだか少しだけ元気になった。

食べる行為って、とても尊い。どんな瑣末な食べ物であれ、生きていることを自覚させてくれる。だから、どんなものでも美味しくいただきたいものだ。

 帰りに甘いものとコーヒー飲んでこ〜