自分と向き合うこと

気づいたらもう一年くらい更新の期間が空いてしまっていた。

 現状はというと自分のメンタルの部分で、突破不可能な高い壁がそびえたっており、今はその現状に最悪な気分になっている。

 自分がドグサレ自己犠牲精神野郎だという自覚がないまま、これまで過ごしてきたツケがまとめてやってきている。債務超過

 まず、人の為に自分の能力を活かす、という行いがウィンウィンな関係を築けていたことに確証を得たので、どんな対人相手でもこれから先まあまあ上手くやっていけるだろう。なんてのほほんと考えていた。マジでそう思ってたし、なんなら真理とさえ見てた。だってそれで上手くいってたし…友達も仕事も…

  ただそのやり方で今まで通じていたのは、リターンがあったから。仕事や友人関係だとその相互関係って分かりやすく見えた。たとえば車を出してもらう⇄ガソリン代を払う

仕事なら、絵が描けない原作者⇄ストーリーが描けない作画

みたいな形で、金銭の授受に近い形でやりとりができてたから何ら問題は起こらなかった。

もし友人に、ある事象で理不尽を感じても、これまでのやりとりや、さまざまな面から考えて、決断をくだすことができた。

 だけど、恋人は違う。ましてや一生をかけると決めた相手なら特に。

 

 私は金銭的なバランスでいうと支払う側なのは重々承知で交際をしていた。していたつもりだった。

 その実重々承知などしていなかった。心の底で、これまでの友人たちのような形で、いつかリターンが返ってくるという期待を抱いて待ち続けていた。

 結果としては、彼女は当時の状況に懸念も抱いてなかったようで、私の望んでいた報酬は返ってこなかった。

 彼女は彼女の基準で、私は私の基準で行動していたから。

 最終的には、お互い、分からなかっただけだった。明らかに向こうに部があるなどと彼女を責めてしまった。本当は、どちらがどう、なんてことはなくて、ただお互い分からなかっただけなのに。それを一方的に私が責めてしまった。

 認識の違いが浮き彫りになったわけだけど、根本にあるのは私の自己犠牲精神によって犠牲を出してしまった。

相手に何をしてあげられるか、じゃなくて相手にとって何が1番良い状況か

という一つの答えとしてとりあえず落ち着こうと思う。他の考え方もあるから、複数案を出していこう。

次は、相手にとっても、自分にとっても何が1番良い状態でいられるか、について考えたい。